2022年2月5日に日本に帰国することに決めた。タイに移住をしたのが2014年2月8日だったから、ちょうど8年のタイミングになる。
面白いもので25歳の時にオーストラリアから日本に帰国、色んなすったもんだがあってタイに移住したのが33歳。またも8年周期での移住となる。(詳しくは自己紹介参照)
タイ生活の8年間まとめについては別の機会に書くこととして、今回は日本に帰国することになった経緯、日本で何をする予定なのか、その具体的な活動についてお話をしていきたい。
まさかイーノさんが日本に帰国するとは思いませんでした。
それ、結構な割合で言われる。
コロナで仕事スタイルが変わる
冒頭でお伝えしたようにタイに移住をして8年。そしてコロナの影響もあり直近3年間は日本に全く帰国をしていない。この間に息子が生まれて、もう2歳になる。
そしてコロナの猛威が始まって約2年。この2年間で仕事のやり方は大きく変わった。オンラインミーティングの浸透、そして訪問営業が出来ないからマーケティングでお客に来てもらう戦略が必要になった。
だから この記事にも書いたようにコロナ禍中、僕はYouTuberとしてデビューをした。
ユーチューバーに、俺はなる! 新型コロナウィルスの猛威がタイでも大きくなってきた3月の下旬。会社を経営してる立場から「これはヤバい。。」と真剣に悩み、このままではいけないと思い決めた新しい目標だ。 これまでYoutubeは避けていた。
物流YouTuberとして世界一を目指す
そしてこの間 Youtuberとしての活動し、獲得できたチャンネル登録者数はこの通りだ。
物流ノウハウ動画(英語):約60,200人
物流ノウハウ動画(日本):約6,850人
物流ノウハウ動画(タイ):約1,640人
物流ラジオ動画(英語):約500人
物流ラジオ動画(日本):約1,850人
累計チャンネル登録者数:約71,040人
2022年1月21日時点
10万人登録者で銀の盾が欲しい!
「事業 × YouTube」の威力
ぶっちゃけた話、これだけのチャンネル登録者がいても広告収入はたかがしれている。なぜなら僕が作っている動画はノウハウ系で、ドッキリのようなインパクトはなく再生回数は爆発しないからだ。
しかし、このYouTube活動で得られた仕事の数や利益を侮ってはいけない。世界各国の物流関係者から仕事の問い合わせがあり実際に取引につながるケースは多い。
YouTube経由の累計の利益で2,000万円は超えている。
タイにいなくてもよくね?
YouTube集客に成功し、海外の代理店や日本人のお客さんからも問い合わせは増える一方で、打ち合わせは主にZOOMを使って対応している。
オペレーションも日本人秘書やタイ人のMD、スタッフを含めているので、僕がやることはトラブル対応くらいだ。
こうなるとイーノさんいらないっすよね。
少なくともタイにいる必要はないかな。
YouTube、Twitter、ブログで発信を続けていることで新規の仕事を獲得し続け、ミーティングはオンラインで完結することが出来る。
あとは上述したように3年も帰国していないし、子供が2歳にもなったので、帰国して日本で育ててみようと思ったのだ。
新しい事業で勝負する
働く場所を選ばないような仕事の仕組みを作ることが出来た。だから日本に帰国をしても引き続きフォワーダーとして今の会社の売上・利益に貢献することは出来る。
そして僕のボスは、こんな提案をしてきた。
日本でフォワーダーをやろう。
しかし、このボスの提案に対して。。
いいかもね。。だが断る!
日本でフォワーダー新規参入は無理ゲー
なぜ断ったかというと、日本のフォワーダーのマーケットは成熟している。今後、日本で製造業が増えていくはずもなく、人口減少が進む国において貨物の流れは確実に鈍化をしていく。
そこに大きな人脈や仕事もなく乗り込んでいくと確実に負ける。僕のマーケット感覚はそのように判断をした。
メディア単体では不十分
では何をするのか?最初は新しい物流メディアを作ろうとしたんだけど、僕の実力・経験においては物流のメディア(広告)で儲けることは出来ていない。
アクセスはちょこちょことあるが、僕一人+αが生活していける小さなものだ。メディア単体だけで利益をあげるのは難しい、ってか経験が乏しい。
「事業×メディア」が得意
でも僕はメディアを使って自分の事業に繋げるという活動は得意である。
タイで趣味とノリで始めた副業がとんでもない事に。正しいビジネスの組み立て方で事業を拡大させる方法とは?
これまでに物流でYouTubeを使ったり、タイ仕入れのサービスにブログを使って集客をしてきた。
サービスの売上・利益を上げる為に欠かせない集客において、メディアを駆使してライバルに勝つというのは業界によってはそれほど難しくない。
物流はそもそも古い業界ですしね。
タイ仕入れはニッチだしね。
サプライチェーンに特化した人材紹介
そこで色々と考えて、「人材紹介 × メディア」であればチャンスがあると思った。
更に僕の専門である貿易・国際物流という業界に特化をすると「人材紹介 × メディア × Logistics」となって、ライバルに比べても差別化が出来る自信がある。
そして今後の日本は転職が一般的になる時代だ。
終身雇用が崩壊し、一つの会社に居座り続ける時代ではない。ジョブ型雇用が一般的となり自分の専門性をもって、欧米のように複数の会社を渡り歩く時代である。
転職で収入もぐんと上がるしね。
それはちゃんとキャリアを考えて計画的に転職する場合ね。
インタビューしまくる
方向性が決まればあとはリサーチだ。リサーチには定量調査と定性調査がある。
収集されたデータを使って調査結果を統計学的に分析する調査方法。幸い人材業界は大手も多く、調査会社がデータを公開しているものもある。
数値化できないデータ収集をする調査方法。インタビューやグループディスカッションなどがある。
定性調査で見えてくる
僕が力を入れたのは定性調査で友人やTwitterでの知り合いなども含めて、求職者の立場でメーカー・商社・フォワーダー・通関の仕事をしている人たち18名にインタビューをした。
更に人材紹介業を経営している社長さん2名、人材紹介業の営業さん3名にもインタビューをした。
リサーチから色々と見えてくる
少しずつ形が出来上がってくる
リサーチを通して、創業メンバーとの話し合いを通して段々と形が決まってきた。今回の人材紹介業は最初からビジョンを持って立ち上げる予定だ。
この記事にも書いたんだけど、タイのフォワーダーの会社はビジョンも何もなく始めてしまった。とはいえ、強みを生かして利益を積み上げていくことは出来ているのだが。
タイでフォワーダーとして起業してもうすぐ5年が経過する。今日はタイトルにもある通り、会社のビジョンについて考えるようになったきっかけをツラツラと徒然なるままに書いていきたい。
ビジョン・経験・データを元に企画する
現在ウェブサイトを製作中で、ビジョンを明確にしてサイトでやりたいことを表現しようとしている。日本に帰国をしようと考えて、日本のパートナーとの調整、リサーチ、企画のブラッシュアップに2ヶ月以上かかった。
それくらい土台となるものを作って、方向性を明確にしたり、何をしたいのか・誰に何を伝えたいのかを明確にするのは大切だと思っている。
プログラミングスクールに申し込む
日本に帰国すると約14日の隔離生活が待っている。絶対に暇になるのが予想されているので、この機会にプログラミングを基礎から学ぼうと考えた。
さすが意識高いっすねww
ワードプレスのコードで理解しているのはHTMLとCSSだけ。しかもテンプレをちょちょっといじれる程度。PHP、Java、Ruby、パイソン等は全く理解すらしていない。
プログラミングは必須だろ
英語と同様にプログラミングも義務教育に追加される。
英語は既に出来ているから何も問題がなかったんだけど、今後 プログラミングをデフォルトで理解している若者たちと仕事をするには自分も理解をしておかなければいけない。
僕自体がコードをかける必要はないと思っている。コードを書くのはエンジニアの仕事で、この物流・海運業界にどのようにしてIT化を進めていくかを考える必要がある。
ここが出来ればチャンスで、逆に出来ないと今後は取り残される。
帰国してから忙しいね。
まとめ
8年間のタイ生活が終わる。タイに来た時はまだ超絶貧乏だったから、そこからタイで経営者になり、自分を逆輸入することが出来るとは夢にも思っていなかった。
新しいことに挑戦するのは楽しい。コロナ期間(まだ続いているが)はYouTubeに挑戦をしたおかげで次に繋がったと思っている。
日本での新しい挑戦が、将来 更に面白い挑戦に繋がることを信じて、頑張っていきたいと思う。