この記事を書いている現在の僕は39歳で、あと数ヶ月すると40歳になる。
30代の最後を区切りにこれまで更新出来ていなかった、タイで自分で会社を起こしてからの奮闘記をお話ししていきたいと思う。
時系列ではなくテーマ別に話をまとめています。
物流業と商社業で独立をする
弊社のグループ会社は8社あり全部が国際物流をしている。その中で商社業が全くないので、当時 僕のボスに「商社やらない?」と提案したのがタイ起業の始まりだった。
その時 ボスのお言葉。
商社業だけじゃなく、フォワーダーもやろう。
ということで2つの事業をメインにスタートした。
パートナーと最初から対立
会社設立で株主はボス・僕・Mr.Kengの3人がメインだ。
ここで僕の相方Kengさんについて少し紹介をしたい。彼は僕の1つ年下で複数の船会社に在籍していて、幸か不幸か僕と独立することになったボスの親戚だ。
彼がボスの親戚だというのを知るのに3年くらいかかった。
彼の性格はいたって保守的。石橋を叩いて渡らないくらい保守的な性格で、ボロボロの吊り橋でも渡ろうとしてしまう僕とは全く反対の性格。
こんな2人が一緒に起業をするとどうなるだろうか?ガチの喧嘩が絶えない。振り返ってみれば毎週喧嘩をしていた気がする。
喧嘩の内容は会社の方針、採用、コストの使い方、顧客の獲得方法、顧客の維持のために必要なこと、などなど。
会社経営において一つ一つのことで話し合いをする時に確実に意見が分かれて、お互い興奮して喧嘩になる。声を荒げて議論する。さすがに暴力はなかったけど。
よく関係が続いたなと不思議に思う。
当時は商社業と物流業で会社を分けようと真剣に考えていた。
相方との関係が良好になる
しかし相方との関係は現在ではうまく続いている。
起業2年目くらいのタイミングだったと思う。急にお互いを尊重するようになった。恐らくだがお互いが相手の得意を認めて必要な存在だと気づいたからだと思う。
僕の場合は商社業で会社を分けようとした時に、優秀なタイ人を探さないといけないと考えた。
しかし優秀な人材を見つけるのは簡単ではないと以下にも説明しているが、当時の人材採用・育成で十分に理解していた。
彼の性格は僕とは真逆だが、仕事に関しては優秀なのだ。
僕は日本人顧客をとりに行く、サービスレベルを高い水準に保つという役割がある。
そして彼は船会社との人脈で安い運賃を獲得する、スペースを取る、スタッフを管理するということが出来ている。
お互いがお互いの強みを理解して歩み寄れたんだと思う。
他には初年度から結構な黒字をあげることが出来たからだろう。初年度の経常利益は約2,400万円以上あった。
自分たちでもビックリだった。
痛感するタイスタッフの採用・育成の難しさ
独立して最初の課題は相方だけではなかった。人材の採用と育成だった。
タイに来てすぐの時もアシスタントの育成で結構大変だったんだけど、経営者となってからは採用の難しさが身に染みてわかった。
まず商社業
これはゼロから1を作らなければいけないんだけれども、僕の仕事はゼロイチの企画を作ること。そして仕入れや営業も基本的には僕の仕事になる。しかし物流も一緒にやっているのでタイを離れられない。
すると販売は基本的にタイ国内となる。
詳しくは後述するが、僕は自分でタイの市場でタイ人に販売することが出来なかったので良い営業マンを雇う必要があった。
そして物流業
物流では安全に納期通りに運ぶことが出来れば本質的に重要なのはコストだ。お客さんに提案するのも他社より安い運賃を提案できれば案件獲得に繋がりやすい。
安く仕入れることはボスや相方のおかげで出来る。
そして高く売らないので、人件費は安くするのが基本となる。
なので個人的には物流業でコストがバカ高い日本人駐在員が沢山いるのは 相当デカイ顧客を持っていたり、新規獲得が強かったりしていないと割りに合わない。
既存の仕事をまわすだけならコストの安い現地採用で十分だと思う。
タイローカル会社のコスト管理
そしてロールモデル的にボスの会社のスタッフもコストが安い。25歳くらいのオペレーションスタッフの給料は2万バーツを少し切るくらいだ。新卒だと16,000バーツくらい。
タイの日系企業ではもう少し高い給料を出しているのを知っているが、ローカル企業の弊社のスタンダードはやはりローカルになる。
人件費が高いとボスから
何でそんなに高いの?
と強烈なツッコミが入る。また仕事量に合わない人材の採用も非常に厳しい。
それくらいコスト意識が高い会社でその陣頭指揮をとってやっているのがMr.コスト管理の相方だった。
僕はコスト意識が日本人よりで緩いので、これはよく喧嘩になった。
難しい採用条件
給料を高くすれば応募をしてくれる人も増えるので、良い人材とまではいかないがマシな人材獲得に繋がりやすい。しかしコスト意識が高い弊社では、高い給料なんて提示出来ない。
営業マンに関して言えばコミッション(歩合)があるからそれで稼ぎなさいという感じ。
うちのコミッションの仕組みではベースの給料が低いほどコミッションが得やすくなっている。
だから仕事が出来る営業マンはわざとベースサラリーを低くして、コミッションでガンガン稼ぐというのがローカルの物流会社の営業だ。
そんな仕事が出来るやつは殆どいない
しかし、問題がある。
そんな自分でガンガン稼げるやつは殆どいないし、いても優秀なのですぐに独立する。本当に宝探し状態なのだ。
なので当時の弊社では僕が仕事をとにかく沢山とってきて営業マンにパスをしまくって、彼らのコミッション獲得に貢献していた。
当時も今も殆ど変わりないんだけど、僕が新規顧客を取りに行かないと新規は取れない感じだった。
仁義なきタイスタッフの退職
コストが低く雇える人材の特徴は年齢だ。若い年齢の人ほど安く雇える。
でも若い人たちはタイでもニュージェネレーションと言われ、仁義のない自由奔放な人間だと揶揄される傾向がある。
いつの時代でも近頃の若者はというのはある。
僕もおじさんになったせいか、そのように思うことも少なくない。更に言えばタイという異国の地なので文化の違い、考え方の違いもあり彼らの辞め方はショックだった。
・突然来なくなる
・LINEで辞めると送ってくる
・友達伝えに辞めると言ってくる
・僕の客を持っていく
大体 彼らの辞める理由No.1が「母親の面倒をみなければいけない」というもの。ホンマか知らんけど。
起業初年度は慣れていないので本当にショックだった。本当に会社への迷惑なども関係なく好きな時に辞める。信じられなかった。
僕の客を持っていった奴にはブチ切れして、根回しをしてお客を取り返したが。
この時のボスのアドバイス。
お前のことに興味のないやつに、興味を持つ必要はない。なぜショックなんだ?
おっしゃる通りだと思います。
若い奴ほどこういうことをするので(僕の経験上の話ね)、ニュージェネレーションは絶対に採用しないと決めている。
うまくいかない商社業
さて初年度から会社は黒字とお伝えしたが、それは物流業の話。商社業はずっと赤字で失敗続きだった。初年度は商材探しをして2年目から取引先との関係もあり油と飼料を扱うことに決めた。
ページ下部の関連記事にも書いているが、油をインドネシアの業者から輸入しようとしたら詐欺にもあった。
少額だから良かったものの海外でゼロイチで何かを始めるのは簡単ではない。
飼料にガチで力を入れる
何か良い商材はないか?と展示会に行った時にベルギーの飼料メーカーと出会った。話を聞き、リサーチをするとニッチでパフォーマンスもかなり上がる珍しい商材だった。
あとはベルギーということでビールを飲みにいきたいという強い欲求(下心)があったのがモチベーションになり、活動をしまくった。
結論から言うと、これは ずーっと赤字だった。
・メイン商材の輸入許可が関係省庁から下りない
・ファーマーに直接売りにいくも相手にされない
・大手の価格がとにかく安い
主にこれが原因だった。
役人の意味不明な見解
メインで扱おうとしていた商材は顧客リサーチやコスト試算も含めて、本当にいけると思っていたんだけど輸入許可がおりなかった。
砂糖きびを原料に使い、味の素と同じバクテリアを使って発酵して、その余り物として出てくるものでとにかくプロテイン率が高い。そして安い。
そしたら関係省庁から言われたのが、このバクテリアはダメだとのこと。味の素も危険だとのこと。
味の素そこら辺で売ってるがな。全く同じ原料を使ってるがな。。
意味不明だった。
何度もこの省庁に出向いて上司にも話をしたが、この許可申請だけで1年かかってしまい諦めることにした。恐らく何かあるんだろうなと思っている。
ファーマーに相手にされない
同じベルギーのサプライヤーから別の商材を提案され、それを分かりやすく、訴求しやすい企画を作り、タイのファーマーに直接売り込みに行った。
この時に扱ったのがレイヤー(卵を生む鶏)の排卵率を上げて、産まれた時に殻が割れることのロス率を下げるものだった。
タイとヨーロッパでは飼料のビタミンレベルに対する概念が違う。
タイ:NRCという家畜が最低限生きられる量のビタミンレベル。
ヨーロッパ:OVNという家畜のパフォーマンスを最大限にする為のビタミンレベル。
これはヨーロッパでの飼料の概念はこのようなものが多いらしく、コストは高くなるけれども家畜にとって優しいし、より高い結果が出てより収益につながるものである。
伝わらない飼料の効果
でもタイの農家は結果が良くなろうが、目の前の餌のコストが上がることに強烈な拒否反応を示した。
数字を聞いてエクセルで計算して「これくらい収益が上がりますよ!」と伝えても、「お前、胡散臭い」と一掃されてしまう事が多かった。
一度だけ人脈を通じて取引につなげたこともあったが、正しい飼料のブレンドをしてもらえず予定していた結果が出なかった。
タイのファーマーはやはり人脈社会に生きていてキーマンを抑える必要があったが、中途半端に活動していた僕にはそれが出来なかった。
飼料でウェブマーケティングを使う
こちらから売り込めないのであれば、相手から来てもらうしかない。
予算は限られているからコンテンツマーケティングや動画を使う。そして飼料の業界紙に広告を打つ。LINE@も始めて問い合わせがあったファーマーへアプローチをし続けて行った。
ウェブマーケティングはそこそこ注目を集めることが出来た。しかし問題は在庫だった。既にそこそこの投資をしているしうちのMr.コスト管理の相方は在庫を持つことを許してくれない。
ひたすらマーケティングを続けて1回のオーダーで十分な量の注文をしてくれるファーマーを探していた。
しかし2020年4月をもって飼料事業を止めることに決めた。飼料事業を続けることで本業の物流業に影響しかねないと判断した。
無念だ。。
飼料事業の失敗を振り返る
失敗してから思ったのだが、自分でタイのマーケットには営業が出来ないので仕事が出来る営業マンは必要だと分かった。予算が限られていて営業マンを雇えなかったのも問題だった。
商品や戦略自体はそこまで悪くなかったと思う。
でも予算と行動が中途半端だったと2020年4月に振り返ってみて分かった。
飼料事業をしながらも僕は物流の新規営業をしていて顧客獲得をしまくっていたし、僕の時間を100% 飼料事業に使うことも出来ていなかった。
これも後述するが自分が何に一番注力をすれば事業として最大の収益を得ることが出来るのか。創業期は絶対にこれが必要だと思う。
タイ仕入れツアーを始める
起業して2年目くらい。お世話になっていた人がタイに頻繁にきて仕入れのサポートをしていたので、ノリでRIMNAMというタイ仕入れツアーのサイトを作った。
これは当時付き合っていた彼女(今の嫁)がツアーガイドのライセンスを持っていたことも大きい。
当時の彼女(今の嫁)の安定収入にも繋がるだろうと思って、事業を企画して始めたところ これはソコソコうまくいったと思う。
古くからこの事業をしている会社や新規で始める個人事業主たちを抑えて「タイ 仕入れ」ではNo.1になることが出来た。
我ながらのウェブマーケティング力だ。
RIMNAMの事業のメインは土日だった。チャトゥチャックのウィークエンドマーケットを仕入れコースに行くので、平日よりも土日にお客さんからの問い合わせが集まる。
そしてここで問題発生。問い合わせが増えすぎて、本業に影響するくらい忙しくなってしまったのだ。
値上げをしてもお客が来る
コンテンツマーケティングが当たり、他のライバルのウェブサイトよりも分かりやすく、キレイに、更にうちの嫁(美人)も全面的にアピールをして表現していた。
更にお客様の声も毎回 頂いて写真付きで掲載するのでRIMNAMのサービスへの信用に繋がった。
そこで対策をすべく段階的に値上げをした。最初はTHB5,000/グループだったが、最終的には僕が参加するオプションではTHB 12,500/人としていた。
それでもお客さんからの依頼は多くて、オンライン秘書を使って対応をした。
ノリで始めた事業がこうなるとは。。
クロコダイルの事業を始める
タイの仕入れで利益が取りやすい商品がある。それがクロコダイルの革製品だ。
最初は僕もクロコダイルのことを何も知らなかったが調べまくって、ワシントン条約の規制もクリアーしてサイトで情報を発信した。
このワシントン条約(CITES)の規制が参入障壁を作ってくれて、ライバルたちとの差別化になったのは間違いない。
イサーンのクロコダイル
ある日 タイの東北地域のイサーンでクロコダイルを飼い、更に縫製工場を経営しているという女性から連絡があり、話を聞いてみて非常に面白かったので2日後にはその工場を訪問していた。
タイの田舎の地域貢献にもなる事業で、クロコダイルの革という商材もインパクトがあり クロコダイル商品単体で卸販売をすることにした。
タイ仕入れツアーのお客さんからもクロコの販売に繋がり定期的な注文になった。
怪しい人に近づかれる
タイ仕入れツアーをしていると色んな参加者さんが来てくれる。殆どの参加者さんが本当にいい人だった。高めのツアー費用なので この金額を支払える人たちなので本当に客層が良かったと思う。
しかしその中で自分でも仕入れツアーをしているという人が参加してきて、僕もRIMNAMを手放したかったから(本業が忙しかったので)色々と話をすすめていた。
そしてクロコダイル製品の大口の仕入れをしてくれた。
なんか雰囲気が怪しい。。でも周りの人は普通だし。。どうなんだろ?
ある日、その方から発注があった高級路線のクロコ製品の一部にクレームが入り「その分は返金 or 修理対応をする」と言ったら、まさかの発注分の全部を返金しろとなった。
流石にそれは無理と話し合いをしたら「返金対応をしてくれないと、現在発注している(製造中の)クロコ財布100個分の現金がない」と言われる。
この方とは縁を切りたかったので、では100個分のオーダーはキャンセルを受けて自分で100個のクロコ財布の販売をする羽目になってしまった。
2020年の11月に全部を売り切った。協力者様には感謝です。
RIMNAMのサイト・サービスを売却する
ワニで痛い目を見ることになり、このタイ仕入れツアーの仕事はお客さんからの依頼が多かったので一応続けていた。
でも本業に支障がかなり出るようになっていたし、一度 ボスにこの事業を説明して会社でやらないか?と提案した。
全然儲かってないよね。Too Small. やる意味ある?
そうなのだ。個人でやる分にではお小遣いとしてそこそこ多く稼げる。
でも本業の物流業は年間で2,000万円以上の経常利益を出せるくらいの規模なので、これと比べると非常に小さい収益にしかならない。
さらに言えば僕しか出来ないことも多かったので、自分が一番利益を生み出せるところに集中すべきだと至極当然な話をされた。さすがボスだ。
RIMNAMの事業に興味を持ってくれる会社があったので売却をすることにした。
2020年1月に売却した。
Twitterを始める
起業して2年目が終わるころ。社員旅行中でカオヤイというマウンテンリゾートで「ブランド人になれ」と言う本を読んでいた時に、Twitterでフォロワー1,000人いないやつはダメ的なことが書いてあったので挑戦してみた。
Twitterは避けていた。ブログとは違いストック型でコンテンツが溜まっていかない。常に呟き続けなければいけない。
更にFacebookとは違い、匿名で拡散されやすい仕組みでもあるので炎上することもある。
とはいえメディア歴もソコソコ長いので挑戦してみることにした。
やってみると意外と面白いもんだな。
タイの日本人ツイッタラー
「タイ 起業」をキーワードに僕なりに思う役に立つ情報発信を続けた。1日10ツイートを最低ラインとして予約投稿ツールを使って発信しまくる。
あとインフルーエンサーに絡んだ方がいいよと書いてあったけど、フォロワーを増やすために絡むのは嫌だったので広告を使った。
1年半くらいでフォロワーが3,000人くらいまで伸びた。
ツイッター飲み会を開いたり、ツイッター経由で起業したいとか、海外で仕事をしたいという悶々とした悩める若者にアドバイスをするおじさんとして活動もした。
インタビューも5回くらい受けました。
情報発信のスタンスが決まる
ツイッターでは「現在の駐在システムは変わらなければいけない」と18,000文字くらい使って書いたブログ記事がプチ炎上したり、匿名の変な人から変な絡まれ方をすることもある。
自分が発信している表現が鋭ければ鋭いほど批判を受ける機会が上がる。
敵を作る必要はないが発信する表現とスタンスは気を付けるようになった。
気にしすぎてフワフワした内容になっても嫌だし、主張すべきだと思うことは炎上しても、批判されても主張するスタンスを取るようになった。
非常にいい経験で、発信の軸も決まった感じ。
そして2020年はテーマを変更して「タイの物流業者の社長」という肩書きで発信をするようになった。後述するが起業して4年目で本業の国際物流に専念をすることにしたからだ。
ベトナム進出を検討する
起業して3年。会社の経営は物流業がお陰様で上手くいっている。この時点で僕のタイ在住は6年になった。軽くタイでの生活が飽きてきていた。
そこでボスに新しい提案。
ベトナムいかない?
パナソニック Thailandが、タイの工場を閉めてベトナムに移転したというのがきっかけだ。
タイにある日系製造業は飽和してきている。会計事務所の友人や不動産会社の友人にも話を聞くと、進出よりも明らかに撤退の方が多い。
日系企業はどこに行くのか?「タイプラスワン」というキーワードが何年も前から出ていたが、ミャンマーは新聞で取り上げられているほど盛り上がってはいないと思う。
大手企業はミャンマーに行くだろうが、僕らみたいな2番3番煎じの中小企業が狙うマーケットではない。だからベトナムしかない。
過去5年の経済成長を見たり、日系企業の進出会社数や日本からの投資金額を見ても これから伸びていくに違いない!(多分)
コロナでベトナム進出が頓挫になる
コロナの影響で他国に行く時や、タイに戻って来る時に14日間のホテルでの強制待機期間がある。
ベトナムを進出するにあたり、ベトナムの代理店と交渉をする必要があるんだけれども僕のボスはオンラインでは決められないとコロナが落ち着くまでの延期を決めた。
コロナの影響次第では僕がベトナムに行っても新規営業が出来ないかもしれない。そうなったら無理して行くのはリスクである。
せっかく新しい国で仕事が出来ると興奮していたんだけれども、失敗のリスクが高い時に行く必要はない。コロナが落ち着いてからでもいいから、アンテナは常に立てていくつもりだ。
2020年 – コロナ禍でタイで働く社長
さて話を今年にまとめよう。
コロナの説明はいちいちしないが 2020年4月から飼料事業を撤退し、国際物流にのみ専念するようになった。2016年に起業をしてからやっと得意としているフォワーダーに専念し始めたのだ。
なぜここまでフォワダーに専業しなかったのか?フォワダーという仕事をたいして好きになれなかったからだ。それに関する記事(ページ下部)は詳しく書いている。
簡単に説明すると、メーカー・商社系の駐在員に見下されたり、同業の駐在員はこの職業を底辺とまでいう。底辺とは思わないがダラダラ仕事してそうな人間に見下されるのが嫌だった。
YouTuberになる
これも別のブログ記事 (ページ下部) にまとめているんだけど、国際物流専門のLogistics YouTuberとして活動をし始めた。
2020年4月から10月くらいまではコツコツと動画を更新して、チャンネル登録者数は3,000人くらいだった。
それがある動画がバズって海外の物流関係者からのチャンネル登録が増えて年末の現在には27,000人以上のチャンネル登録者となった。
更にこれまでは動画に広告を貼っていなかったんだけど、12月1日から広告を貼るようになってYouTubeからの広告収入を得るようになる。
普通に生活できるくらいの収入がある。YouTuberって夢があるな。。
タイの物流はイーノさん
YouTubeが日本だけでなく世界でもバズったおかげで、僕のことを知ってくれる人が増えた。しかも国際物流をテーマにした専門チャンネルなので、仕事に関する問い合わせが一気に増えるようになる。
国際物流の仕事は2国間で行われる。
だから他の国の物流関係者から「タイの物流はイーノさん」に依頼をしようと思ってもらえれば貨物を集めることができて仕事が増える仕組みなのだ。
また僕が発信している内容は物流の教育コンテンツだ。
動画だけでなく、物流の専門ブログ(Forwarder大学)も2020年2月から始めていたので、ブログ経由でも動画へのアクセスを流し込んでいる。
動画を中心に、ブログ、Twitter、LinkedIn、Facebook広告と導線をつなぎブランドを構築している。
来年はこのブランドを活かして新しい企画をする予定だ。
コンテナ不足が発生する
2020年の9月ごろからコンテナ不足が業界内で囁かれ始めた。
海上運賃の高騰にも繋がり、船のスペースが取れない、更に港の混雑に繋がり、工場・商社・物流に携わっている人ならこの問題はかなり深刻なのだ。
コンテナ不足を解説する動画がバズる
それに関する解説動画を作ったところ、分かりやすい!と世界中から連絡が来るようになった。動画のバズのきっかけはFacebook広告だった。
この動画の日本語版がかなりシェアされてヒットする内容だと分かったので、英語版に期待をした。
英語版の動画への導入経路をすぐに増やすにはFacebookのターゲット広告がいいだろうと思い、実際に広告出稿をしたら1日でFacebookでシェアされ、What’s appでシェアされ、LINEでシェアされまくった。
狙った戦略が当たった時は気持ちがいい。
コンテナ不足の影響で強烈に忙しくなる
話を国際物流の実務に戻そう。「コンテナ不足の動画が伸びてウェーイww」となるほど僕はYouTubeを本業にしていない。
あくまで本業は国際物流で、コンテナ不足が起こったら自分のお客さんの為にコンテナを確保しなければいけない。
ここでどんなことが起こっているか箇条書きで説明しよう。
・コンテナを何とか確保する
・船会社からいきなりキャンセルを喰らう
・他の船会社のコンテナを探す
・新規の荷主がコンテナを求めて問い合わせをしてくる
・なんとかコンテナを確保する
・新規に主が既存のフォワーダー経由でコンテナ確保 => キャンセル
・本船が遅延しまくる *最大3週間の遅延
・荷主に強烈なプレッシャーをかけられる
・船ではなくトラックを提案する
・高いといってトラックは断られる
・でも結局トラックで輸送手配をする
・海上運賃が3−5倍くらいに高騰する
・荷主への値上げ説明に翻弄する
これは僕だけの仕事ではなく、弊社の業務スタッフにも大きな影響を与えている。
いつも定時で帰宅するスタッフたちが、21時以降も仕事をすることになった。
こんなに忙しい年末は初めてや。。白髪がマジで増えた。
人との交流が広がる
仕事以外のことも書いておきたい。
これまでは殆ど交流会などに参加しなかった。でもある人たちと出会い、彼らが人を活かす姿を目の当たりにして、更に自分も活かしてもらえた。
僕は昔 人脈を否定していた。
これも関連記事(ページ下部)に記載しているけれども、人からの紹介なんて紹介してくれるかどうかも分からないから、当てにならないものだと思っていた。そんなの当てにしているやつは弱いやつだと思っていた。
でも、それは完全に僕の間違いで、紹介されないのは、紹介されるような人間ではなかったからだ。
しかし、事業を続けているとこんな僕でも紹介をし続けてくれる人が出てきた。
僕の仕事ぶりを気に入ってくれたのか、本当に性格の良い人なのか とにかく人を紹介してくれるのだ。また紹介してくれた人たちが本当に優しいのだ。本当に良い人たちで居心地もよくなってしまった。
牙がとれてきた。。
人と人を繋げるようになる
当時はとにかく1人で気合で仕事を取りにいってたから、本当に自分のことしか考えていなかった。
しかし上述したように自分を紹介してくれるような優しい人たちに触れると、自分もやってみようという気になる。
国際物流業という業種なのでいろんな製造業のお客さんがいる。業種が偏っていないのでお客さんが求めている人がいたら、紹介できるケースが何回かあった。
またお客さんでなくても、テーマを決めて自分より年下の人たちを集めて飲み会を開いてみたり、自分に得がなくてもその人達にとって何か良い出会いに繋がればいいなと思って行動することが出来るようになった。
少しまともな大人になれた気がする。
新しい目標が決まる
僕の友人にコーチングをしてくれる人がいて、毎年2回 時間をとって僕の目標設定にお手伝いをしてもらっている。
もうタイに来て7年になる。
最初の3年半は現地採用として親会社でフォワーダーの営業担当者として実績を積み上げていった。そしてその実績が評価されて次の3年半で上述しているような起業、会社経営をしてきた。
タイで起業してからも相変わらず無駄なチャレンジが多く、まっすぐゴールには向かっている感じはしない。
でも30代を最後にして自分が勝ちやすい場所がどこか分かり、自分を必要としてくれる人に何をしたら良いかも少し分かった。
また自分が何をしたら楽しいかも分かった。
僕は常に何か新しいことをして仕事で遊んでいる。気がのらなかった国際物流に専念しているけれど、そこからYouTuberになって結果を出し次の展開につなげている事がかなり楽しい。
そういう経緯でベトナム進出も非常に楽しみな行事の一つだ。
45歳でイタリアに住む
イタリアには一度も行ったことがない。でもイタリアに住みたい。なぜか?
なんとなくカッコいいから。
僕が25歳の時にオーストラリアから帰国して、どういう大人になっていたか?と考えた時に、海外でバシーンっと仕事を決めて、帰りの飛行機で「フー」っと一息ついている瞬間が死ぬほどかっこいいと思っている。
これは僕の価値観なので、僕だけが共感していれば良い。
イタリアのミラノならフランス、ドイツ、オランダ方面にも近くて、ヨーロッパの仕事につながるんじゃないか。
またタイ・ベトナム・日本というアジア地域で物流会社を経営していればイタリアの貨物にも物流をつなげられるんじゃないか。
意外といけるんじゃないか?そして45歳ならオッサンといえど、良い感じじゃないか?
まとめ:30代は本当に積み重ねてきた
2021年2月に40歳になる。もう自分が40歳になるのかと信じられないくらいだ。
最近ではタイで起業したこと、ツイッターのフォロワー数やYouTubeのチャンネル登録者数を見て、「すごいですね!」「成功してますね!」と勘違いされることが多くなった。
上述しているように僕は失敗ばかりして、性格もかなり歪んでいた。闇もある。何も凄くない。
自分が出来ること、楽しいこと、最近だとワクワクすること、その為に必要なことをコツコツと実行してきただけだ。
成功したというのであれば積み重ねてきたものが、たまたま人に触れる機会が増えて 評価をしてもらえる機会が増えたことだ。これまでの積み重ねがなければ何にもない。
・何を積み重ねるのか?
・何のために積み重ねるのか?
本当に行き当たりばったりに行動をし続けてきた。そこで得られた知識や経験、そして出会った人によって30代の後半ではこれまでと違う価値観を持って積み重ねが出来るようになってきたと思う。
本当に出来た・優秀な人間であれば大切なことを狙ってキャリア・人脈などを積み上げていくんだろうけど、失敗しないと理解できない僕としては行き当たりばったりで怪我をしながら、迷走しながら40代の手前までたどり着いてしまった。
次は45歳でイタリアだ。
その過程で色んな人に出会うと思うけれども、僕に出来ることがありましたら協力させて頂きますのでお気軽にご連絡ください。
関連記事
人脈って改めて大切だなと思います。なぜこんな事をふと思ったかというと、私はタイに来た当初は人脈をあてにして仕事をしたことがなかったから。 でも最近は仕事に関しては紹介をしてもらえるようにもなって、人脈を活かした仕事の取り方が出来るようになっていました。
詐欺被害にあいました。マレーシアのJakims Vegetable Oils Sen.bhdというパーム油、ひまわり油、コーン油など油を取り扱う業者です。マレーシアから油を仕入れる時はこの業者からは購入しないようにしましょう。今回はそのやり取りをご紹介します。
タイで趣味とノリで始めた副業がとんでもない事に。正しいビジネスの組み立て方で事業を拡大させる方法とは?
2018年10月からツイッターを運用して8ヶ月が経ちました。思えばこの8ヶ月間、私の生活にはいつもツイッターがありました。 新しい出会い、情報発信、娯楽としてこの短い期間でもツイッターは私に多くのものを与えてくれました。
タイで現地採用を経験し、ローカル企業の社長にもなったが、それでも駐在員との見えない壁にヤキモキする気持ちが高まりすぎることがある。 飯野さん、何があったんですか? 聞いて欲しい。書くかどうか迷ったが、これは僕の危機感と嫉妬にまみれたお話であり、そして無力にも自分の正義を振りかざす酔狂な物語である。そして18,000文字くらいある。 今晩 酒を飲みながら酒のアテくらいに読んで欲しい。
フォワーダーという仕事を始めて9年になる。「どうしてもフォワーダーになりたい!」という強い思いでなったわけではなく、事業の失敗やタイへの移住など、仕事以外のところが主な理由であって たまたまフォワーダーという仕事をしている。 正直に告白すると、僕はこの仕事があまり好きになれなかった。でもこの仕事に救われた。
ユーチューバーに、俺はなる! 新型コロナウィルスの猛威がタイでも大きくなってきた3月の下旬。会社を経営してる立場から「これはヤバい。。」と真剣に悩み、このままではいけないと思い決めた新しい目標だ。 これまでYoutubeは避けていた。